なんというか、読んだからといって、何かが変わる感覚がまるでしない。むしろ単に辛いだけだ。
単純に、リーダーシップというものが本で学びにくいジャンルなのか、それとも自分が本を読めるレベルに達していないのか、それとも他の何かの理由があるのか。
よくわからないが、どんな本に目を通しても、書いてあることが体に入ってこない。
何でなんだろう。
愛すべきライフワークとしての仕事。
なんというか、読んだからといって、何かが変わる感覚がまるでしない。むしろ単に辛いだけだ。
単純に、リーダーシップというものが本で学びにくいジャンルなのか、それとも自分が本を読めるレベルに達していないのか、それとも他の何かの理由があるのか。
よくわからないが、どんな本に目を通しても、書いてあることが体に入ってこない。
何でなんだろう。
会社員になってから1000日程度が流れた。
入社当時から1ヶ月ほどは、まるで夢の中にいるようだった。その時の意識は「不安と期待」という言葉では言い表せないような、高揚した状態になっていた。30代になってから人生初の会社勤めだったのだから仕方ない。
それから色々なことがあった。会社組織に馴染めない時期や、自分が何が出来ていないかさえまるで分からない時期もあった。
思えば今では、見違えるように会社というものに馴染んている。良く言えば成長し、フラットに言えば適応した。そして全身がリラックスしている。語弊を恐れず言えば、まるで遊びに来ている感覚だ。周りからも認められるようになり、その後、しばらく経ってから、自分でも自分を認めるようになった。
3年前を思い出すと、自分というものは、まるで違う人間のように思い起こされる。人はほんの少しずつの変化を続けて、いずれはまったく別の生き物になる。細胞が少しずつ入れ替わっていくように。
これからどこに行くのかは分からない。出来ることならば、仕事や組織というものの甘美な部分の、もう少し長く経験しながら生きていたい。人が協力しながら働くというのは、本当にやりがいがあって、素晴らしいことだと思う。
エンジニアの仕事どうこうというよりも、人と協力しながら働くことが好きだ。3年前までは、まるでそうしてこなかったことだからこそ、なおさら。
どうせ午後になれば、調子が上がってきたり、しなかったりするのだから。
「ダラダラと働こう」と心に決めても、実際はそうならないことの方が多い。
「気合を入れて働こう」と心に決めても、実際はそうならないことの方が多い。
むしろ「ダラダラと働こう」と決めた日ほど、良い塩梅のテンションで働けたりする。
僕はなんだかそんな気がしている。
どうせ決意と仕事ぶりは関係ないのだから、自分の体に逆らわず、楽な考え方をチョイスしてやる。
それが逆説的に、一番良い仕事を作ってくれるかもしれないのだから。
情報交換する時、人間はつい無意識に、話しかけやすい人を選んでいると思う。それに自覚的か無自覚かはさておいて。
意外と偉大な能力なんじゃないかと思う。
昔「無責任艦長」というライトノベルがあったみたいな感じで。
いや、正しくいうと「責任を扱う能力」が必要だ。
そしてここがパラドックスだが、責任感を感じることと、責任をまっとうすることは違う。
責任感を感じていたからといって、責任を果たしているとは限らないし、責任を果たしているからと言って、責任感を感じているとは限らない。
こう考えると分かりやすいかもしれない。プレッシャーを感じても、責任能力は高まらない。
なので「無責任リーダー」というのは「低プレッシャー・リーダー」という意味だ。
仕事が退屈な日は、楽しみ方を考えれば良い。
仕事が難しい日は楽にする方法を考えれば良い。(怠惰は三代美徳の一つ)
ゲームで遊べば遊ぶほど、ゲームの楽しみ方はうまくなるはずだ。
仕事ができる人はすごい。
だけど仕事がそこまで出来なくても、価値を保つ方法はある。
人間として、ごくごく基本的なこと。
そのために、健康を保つということ。
健康であるということは、ぜんぜん目立たないけど、長い期間でみると、実は意外に大きな価値になると思う。
これは仕事が出来る人への皮肉じゃない。
たとえ仕事が出来なくても、武器は他にもあるという話だ。
この二例に限らず、仕事の武器はいくもかあって、自分が得意なものを磨けば良い。
「健康であること」はあまりに平凡で、あまりに見過ごされがちな価値だと思う。
集中力が高い時は、順序の上の方の仕事を。
集中力が低い時は、順序の下の方の仕事を出来るようにしておく。
人間の生体に合ったタスク管理をしよう。
デスクを離れて歩いている時、昼休憩でうとうとしながら仮眠をする時。
そんなときに仕事について考えていると、最も良い答えが出できたりする。
もしタバコを吸う人なら、それは喫煙ルームで一服する時間かもしれない。
実は仕事の中で大事なことは、すべて目に見えなきところでおこなわれている。
「成長」はストーリーで「適応」は具体的な現象だ。
何が言いたいかというと、成長に善悪はないということだ。成長しても善ではないし、成長しなくても悪ではない。ただ適応しているだけなのだから。
(ただ、能力を上げて他の人に役立つのは、幸福なことだ)
生物は環境への適用で成長するように。